(聞き手)
東日本大震災以前には、どのような対策や備えをされていたのですか。
(佐治様)
震災の何年か前、宮城県北部地震があった時に、家の屋根瓦が天井ごと傾いてしまいました。リニューアル工事で瓦からトタン屋根にしたのがちょうど震災の前年の事でした。
考えてみると、もしあのままだったら、瓦は全て落ちてしまっていた事でしょう。
また、古い建物だったので耐震工事も一緒に施しましたので、何とか家は倒れずに済みました。対策として言えるのは、強いて言えばこれくらいでしょう。
後は、
民生委員の色々な講習会の中で被災地をあちこち回って勉強させて頂いて、水が大切だという事を聞かされていました。
東日本大震災の時はお風呂を洗っている途中に地震が来たのです。すぐに風呂の栓を閉めて水を溜めてから外に出ました。当時の対処として一番良かった事はこれだと思います。
また、当時は暖房器具も
電気を使うファンヒーターだったので、
電気が切れてしまうと暖房が無くなってしまいました。隣の家には
電気を使わなくても使えるストーブがあったので、それを持って来てもらって、隣の人と一緒に、私の家で震災の夜を過ごしました。そんな事があったので、震災後には、
電気を使わなくても使えるストーブを1つ買って、物置に入れています。
(聞き手)
多賀城市の住歴はどのくらいですか。
(佐治様)
今現在で52年です。19歳の時に多賀城へ来て、それからずっと多賀城住まいです。
民生委員は10年目ですが、先輩方はもっと長い間、
民生委員を務めておられる方たちばかりです。
(聞き手)
地域の年齢構成についてお伺いします。高齢者の方の割合は多いのでしょうか。
(佐治様)
ええ、多いですね。65歳以上は31、2名います。全部で400世帯、1100人くらいが住んでいると思いますが、そのうち、
要援護者は11人です。もしかしたら、最近また増えたかもしれません。
ているのでしょう。
(聞き手)
この地区は昔から住んでいる人が多いのですか。
(佐治様)
戦時中の海軍工廠関係の住民の方が多いのと、造成して住宅地になってから住んだ方が多いので、生粋の多賀城人は少ないです。
特に私の住んでいる向山は、異動して来た人の割合がかなり高く、高齢化もかなり進んでいます。子どもの数も減っていますし、子ども会もあまり活性化していないようです。
(聞き手)
高校の頃に多賀城に引っ越して来られたとおっしゃいましたが、その頃の多賀城市はどのようなまちだったのですか。
(佐治様)
ほとんどが田んぼで家が少なく、多賀城駅から当時私の勤めていたソニーが見えました。その会社の周りには畑が広がっていました。
(聞き手)
チリ津波や宮城県沖地震、水害などの他の災害の
経験はございますか。また、それらの
経験は今回の震災で活かされましたか。
(佐治様)
8.5水害の時に、床下浸水を受けました。チリ津波や宮城県沖地震ではほとんど被害がなかったのです。特にチリ津波では、塩釜の被害があれほど大きかったにもかかわらず、多賀城では大した被害が出ませんでした。ですから、多賀城は津波の被害に遭わないという先入観があったのです。
(聞き手)
水害の
経験から、今回に活かされた部分はありましたか。
(佐治様)
水害と今回の津波とでは規模が全く違いますので、比較のしようがありません。水害の時は徐々に水が増えてきて、床下まで来るにも時間がありましたが、津波は一気に来ました。
(聞き手)
災害の
教訓が伝承されて来たかどうかについてですが、ご両親や親戚、近所の方などから何か伝わってきた事はございますか。
(佐治様)
民生委員の活動の中であちこち研修旅行に行った時に、被害の遭った
地域をお訪ねして、そこで教えてもらったりした事を自分の知識として持っているくらいで、親からは特にありませんでした。
今振り返ってみると、
民生委員の研修旅行で得た知識が大変役立ったとしみじみ思います。
(聞き手)
続いて白濱様は、震災前にはどのような備えをされていたのですか。
(白濱様)
私は主人が要介護者なので、3つの備えをしています。一つ目はおむつ類、二つ目は食糧、三つ目は電池や懐中電灯などで、その3つを玄関と、自分のベッドの下に置いてあります。当日は3つ全てを持ち出せず、食料品だけを持って
避難所に行きましたが、ビスケットや乾パンを分け合って食べる事が出来たので、とても助かりました。ストーブは常に石油ストーブがありますので、お湯を沸かしたり煮炊きしたりに使っています。水はいつも1ケース備えています。
(聞き手)
多賀城市の住歴はどれくらいになるのでしょうか。
(白濱様)
私は40年です。
(聞き手)
地域の年齢構成がどのようになっているか、お聞かせ頂けますか。
(白濱様)
数えてみたら、50人くらいが一人暮らしをしています。私の暮らしている大代東地区は県営アパートが5棟ほどありますので、そこに一人暮らしの人が多くいます。子どもも多くいまして、全部で350世帯です。そのうち貸家が60パーセントです。